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塩浜・豊洲・晴海の廃線跡をめぐる

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豊洲・晴海にはかつて貨物線が走っていました。東京都港湾局専用線と呼ばれたそうです。

(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館

1989年に廃止になり、今明確な痕跡が残るのは豊洲・晴海間の晴海橋くらいとなりました。

今回はそんな東京都港湾局専用線の晴海線の廃線跡をめぐりました。

※かつてタモリ倶楽部でも取り上げられていました

東京都港湾局専用線の路線

かつて貨物線があったのは、今も残る越中島貨物駅から、晴海ふ頭と豊洲ふ頭にかけてでした。

出典:東洋経済オンライン

1953年、豊洲ふ頭に荷揚げされた石炭を運ぶ路線として、越中島から豊洲に貨物線が引かれました。
次いで1957年に晴海ふ頭に届く巻取紙、小麦、大豆、セメントなどを運ぶ路線として晴海方面に拡張されました。

しかし物資輸送が船便からトラックに取って代わられると、この貨物線のニーズも減り1986年には豊洲線、1989年には晴海線が廃止され、この貨物線は姿を消しました。

今回はこの晴海線の痕跡を越中島方面から辿ってみます。

越中島・塩浜エリア

越中島貨物駅から豊洲方面を見たところです。伸びた線路が行き止まりになっていますが、その先にちらっと見えるのが廃線跡です。

近づいて反対から見たところ。長さにして50mほど。ホームのような設備も残っており、立派な遺構です。

まだ廃線になる前の1979年の航空写真です。右下に車庫のような建物もあり、複数の線路が合流・分岐する箇所となっています。上に分岐した線路跡が、上の写真左側のマンション敷地だと思われます。

国土地理院

ちなみに写真の左を上下に貫くのは首都高辰巳線。翌年開通のため、まだ工事中です。車が走る前の高速道路という珍しい景色ですね。

そこから豊洲方面には路線跡が使われずに残っています(都有地のようです)。

そしてまた唐突に現れる廃線跡。20メートルほど線路が残っており、隣には何らかの機械も残されています。特に由来を解説する看板もないので、知らずに通ったら不思議に思うはず。

運河を越えて線路跡を探すと駐車場として使われていました。

そして駐車場の端は、豊洲運河を渡る橋に登るためのスロープとなっていました。今は橋は撤去され、橋脚のみ残ります。この橋を越えると豊洲エリアです。

豊洲エリア

豊洲エリアに入った貨物線は、豊洲ふ頭方面と晴海ふ頭方面に分かれます。

運河を渡る橋の先の、豊洲北小学校の隣に線路を模したモニュメントがあります。
ちょうどここら辺で線路が分岐していたようです。

晴海ふ頭に向かう線路は、この写真の真ん中に見えるようにS字に曲がりながら、晴海通りを横断し、鉄橋の晴海橋に向かっていました。

国土地理院

そしてこの廃線跡のクライマックス、晴海橋鉄道橋です。豊洲と晴海をつなぐ線路と鉄橋が今も残っています。

この橋は、国内の鉄道橋として初めてローゼ桁と呼ばれるアーチと連続PC(プレストレストコンクリート)桁なるものを採用した橋であり、歴史的に高い価値があるんだそうです。

という技術的な観点は別にして、懐かしさを感じる色合いとフォルム、どんな季節・時間に見ても映える姿に私は惹かれます。晴海線について調べ始めたのも、この鉄道橋がきっかけでした。

この橋は、貴重な歴史的遺構として残すため、また利便性向上のため、遊歩道とすべく補強工事と整備を行っているところです(2023年時点)。

これと晴海側の小野田レミコン跡地の遊歩道化が完成すると、豊洲から晴海ふ頭公園まで一気に行ける気持ちのいい散歩道ができます。楽しみです。

晴海エリア

晴海に渡った鉄道は緩やかに曲がりながら晴海ふ頭方面を目指します。

ここで操車場に行く線路(晴海橋を背にして右方向)と晴海ふ頭に行く線路(左方向)に分かれていました。

操車場の跡は今も空き地で、オリンピックの前はこのような野原でした。2023年時点ではBRT乗り場となっています。

操車場の左を抜けていくと、晴海ふ頭です。

線路跡ずばりは残っていませんが、開通当時の写真と見比べて、線路が走っていた場所を見つけることができました。開通当時の写真は(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館から引用させていただきました。

これは1957年12月17日の晴海線開通を祝う写真。当時はまだ蒸気機関車だったんですね。右側の建物の外階段が特徴的ですが・・・
【写真①】

今回歩いていて見つけることができました。晴海4丁目の鈴江組3号上屋を、晴海の先端側から豊洲方向に見たところです。

またその列車を建物の2階から祝福する人々を撮した写真もあります。紙吹雪が舞って盛大にお祝いされていることが見て取れます。
【写真②】


【写真③】

これも建物の開口部や窓の位置を見比べると、この鈴江組3号上屋ということが分かりました。

そして最盛期1967年頃の臨港鉄道引込み線の様子として残る写真。4線に貨車が走り、かなり賑わっています。左の建物の左上に特徴的な構造物があることから・・・
【写真④】

ここと特定できました。左手前は晴海4丁目の都営晴海4号上屋、左奥は先程の鈴江組3号上屋です。

この角度では見えませんが、鈴江組3号上屋にはこのような特徴的な構造物があり、ここと特定することができました。これは何なんでしょう?わかる方いたら教えて下さい。

晴海線の線路(オレンジ線)と、過去の写真の位置・方向を今の地図にプロットすると、このようになります。

写真を引用させていただいた(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館の資料には、さらにこのような写真があります。左側の建物は鈴江倉庫に見えますが、今回特定までには至りませんでした。

 

 

晴海線はどこまで延びていたのか

廃線跡から外れてしまいますが、はたして晴海線はどこまで延びていたのか、が気になりました。

過去の航空写真を見てこのように推測しました。

倉庫が続くところまでは本線が通っているように見えます。そして倉庫が途切れたところにも線路らしきものが見えますが、これは折り返し線と推測します。

それを今の地図に当てはめるとこうなります。

晴海フラッグのSEA VILLAGEまでは本線が来ていて、晴海客船ターミナル前のバス広場まで折り返し線が延びていたことになります。

SEA VILLAGEの下は昔貨物線だったんですね。

豊洲方面

先ほど書いたとおり、枝川から豊洲に渡った貨物線は、豊洲3丁目で晴海方向と豊洲方向に分かれていました。

豊洲方面に向かう線路はさらに豊洲ふ頭(今の豊洲市場)方面と、東電堀方面に分かれていました。

東電堀方面も、まっすぐ東電堀に向かう線路と、少し内陸を走りぐるっと回って宇部コンクリートを突き抜ける線路に分かれています。

豊洲ふ頭方面は今は痕跡はないので、東電堀方面の痕跡をたどりました。分かれていた場所は今のブランズタワー豊洲のあたり。

少し歩くと東電堀です。昔はこの船着場に荷揚げをする線路が来ていました。草が生えているところが線路の跡でしょうか?

少し内陸側を歩くと怪しげな小道が。緩やかにカーブしており、貨物線が通っていた跡と思われます。

ビルに突き当たるので、その先に向かうと・・・

晴海通りの向こうに宇部セメントの工場が見えてきました。敷地内に道路がありますが、これが線路跡だと思われます。

反対から見るとこんな感じ。

この先、明確な痕跡は見られませんでした。マンションが通りに対して斜めに立っているのはもしかして線路に合わせたんでしょうか。

豊洲方面の廃線巡りは以上です。

まとめ

越中島から晴海に向けて走っていた東京都港湾局専用線 晴海線。今に残る廃線跡をめぐると昔の景色が浮かびおすすめです。

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